2018/05/25 2018/05/26

うちの子はスペシャルタレント気質!不登校の娘を受け入れられるようになるまで。【不登校生の保護者インタビュー 第1弾】

不登校の子を持つ保護者の方に、我が子との向き合い方を伺う「不登校生の保護者インタビュー」第1弾。
今回は、家族支援カウンセラーとして相談活動もされている「海野しぶき」さんに、お話を伺いました。

──本日はよろしくお願いします。まずは簡単に自己紹介をお願いします。

海野しぶきといいます。
今日は、よろしくお願いします。

現在は、家族支援カウンセラーの資格を取得し、相談室の運営もしています。

——家族支援カウンセラーについては、お子さんはご存知なんですか?

相談室については夫にしか伝えておらず、娘は資格を取ったことしか知りません。
昔に比べて関係はだいぶ良くなったとはいえ、やはり自分自身のことを話題にされるのは気持ちの良いものではないだろうなと思うので、活動のことは秘密にしています。

でも、「おしゃべり会」といって、不登校・引きこもりの子を持つ親同士で集まる会を開催しているんですが、それ自体は娘も知っています。
娘が「そこに自分もそのうち行ったりして」と、短い言葉ですが言っていて。
「自分が役に立つならそういう場に行って話をしてもいいよ」という意味かなと思ったんです。
もしかすると、数年したら私のやっている活動もすんなり受け入れてもらえるかもしれないけど、今はまだ様子見の段階ですね。

なんで自分ばっかり、こんなにつらい目に遭うんだろう。

——早速ですが、お子さんが不登校になった時のことを聴かせていただけますか?

娘は発達障害を持っていて、それが分かったのが中学1年生の秋から冬にかけてなんです。
そこらへんから相当難しかったんですけど、2年生にあがったぐらいで登校しぶりが始まりました。
冬休みを挟んで適応指導教室を試したものの、どうしても無理で2年生の1月から完全に不登校になりました。

——不登校になったのは、もう完全に「この日から」という感じでしたか?

0か100か、という気質の子なので、11月半ばぐらいに「明日から学校に行かない」と決めていました。
仲良しのグループがあって、LINEで「私は学校を辞めます」宣言をしたみたいです。
友達たちもビックリしていたけど、本人の言うことをわりとすんなり信用して、来ないって分かってからはみんながうちに来てくれたりとかもしました。

3年生の時も、授業はまったく参加しなかったです。
放課後に空き教室に行って先生とやりとりする、みたいなことはありました。

——不登校になり始めた時、お母さんとしてはどのような心境だったのでしょうか。

発達障害の診断を受けた時、どん底だと思っていたんです。
だから正直不登校になって、「まだこんなにつらい目に遭うのか」「なんで自分ばっかり」と感じました。

長いトンネルの中、光が見えない真っ暗な場所にいるみたいな感覚でしたね。

——今は、お子さんはどうですか?

18歳で、普通に行けば大学1年生の年なんですけど、今は家で好きなことを好きなペースでやるだけです。
昼夜逆転生活というか、生活リズムもバラバラですし、外出もまだまだ大変です。
本人はなんとかしたいと思ってはいますが、今はまだその時期じゃないという感じ。
私たち夫婦もそう思っていますから、焦りとかはなく、今は落ち着いています。

——お子さん自身もご家族も落ち着いたようで良かったです。昔と比べて、心境の変化はありましたか?

全然違います。
不登校なり始めはとにかく私自身がまったく受け入れられてなくて、親子関係が非常に悪かったんです。
暴言暴力も普通にあって、私も応戦してしまって、ケガをするようなこともありました。

自分でいろいろと調べて「こういうやり方でやっていこう」って決めて一生懸命やっていくうちに、娘の態度や顔つきが変わってきました。

——具体的に、どういったところで変化を感じたのでしょうか。

言葉遣いがまず変わりました。

最初は「うるさい」「黙れ」「死ね」といったことが口癖になっていたんですけど、怒鳴ることがなくなったんです。

1,2歳の時から14歳くらいまで、怒鳴りあって泣くということをずっとやってきました。
自分のことをうまく表現できなくて小さい頃からストレスを溜め込んできたんだと思います。
分かってほしいのに分かってもらえない、と怒鳴りあって、取っ組み合いをして、泣きわめいて、仲直りする……、というのを繰り返していました。

今は本当に穏やかに話せるようになりましたよ。

子どもを思い通りにしようとしない。自分の心と向き合い続けた日々

——最初は学校に行かないことを受け入れられなかったとおっしゃっていましたが、今はこうして受け入れられていて、何か意識したことはありましたか?

一番大きいのは、思い通りにしようとしないことでした。

私はずっと、娘を自分の思い通りにしたい、言うことを聞かせたいと考えていたんです。
理想とする「普通」の枠に入れたかったんですよね。
子はこうあるべき、こうだったら幸せになっていくはずだ、という枠組みが、我が子には必要ないんだって思うようにしたんです。
それを辞められるように努力しました。

親からは話しかけないとか、心の中まで話を聴き切るとか。
自分でいろいろと考えて、調べて辿りついて、実践して、という感じです。

——「学校に行く」ことが当たり前になっている状況から、当たり前なわけではないと客観視できるようになったきっかけはなんですか?

発達障害っていう言葉に違和感があったんですが、いろいろと調べていくと、発達障害に関する活動をしている人がたくさんいて、「発達障害という言葉にこだわらずにやっていこうよ」という人もいました。
特に、家族支援カウンセラーの森先生が提唱する、「スペシャルタレント気質(ST気質)」というのが私にははしっくりきたんです。

障害というよりも、独特な気質があるととらえる考え方です。
発達障害は、テストを受けて決められたラインで判断しますが、1ポイント違った子たちに生きづらさがないかといったら、同じようにあるんですよね。

私はもっとぼんやりとしたものとして考えていて、グレーゾーンの子たちも含めてST気質でいいんじゃないかなと思っています。

スペシャルタレントと聞くと、子どもを肯定的に見られるんです。
変わったところが、「ユニークなところ」と思えて、特別な才能を持っているからこそ普通になれなくて苦しんでいる、ということが分かってきたんですよね。

「あ、うちの子は発達障害って思わなくていいや、スペシャルタレントだと思おう」
そう考えられるようになったことが、客観視できるようになる大きなきっかけとなったかもしれません。
娘にはいろんな特徴があるけど、「やっぱりスペシャルタレントだわ」と言えるようになれました。

——「障害」と言うと、ご家族もお子さん自身もネガティブに捉えてしまいますから、そういう捉え方はいいかもしれませんね。

その人が発見した言い方、好きな表現でいいと思います。

家族支援カウンセラーの資格を取った時に、会場を貸してくれるのが幼児教育に力を入れている白梅学園でした。
学長の汐見先生が講義をしてくれて、医学的には発達障害という診断は必要な場合もあるから受けてもいいとは思う、でも日常生活において自分たちが必ずしも診断名を意識しなくてはいけないというわけではない、気に入った表現があればそれを使えばいい、言葉に拘らなくていい、と言ってくれました。

これでいいんだと思えてすごく楽になったので、他の人もそういうふうにすればいいのにな、と思っています。
言葉に拘ると、マイナスな方向にいってしまう気がするので。

高校を中退したら、なんだか自分が、楽になれた。

——高校は中退されたとのことですが、何か心境の変化などはあったのでしょうか。

娘は不登校のまま中学を卒業して、JKにはなりたかったようなので、通信制サポート校に入学したんですが、1年生の夏休み前に自主退学しました。

学校という括りがなくなったら、すごく私自身が解放的になったんです。

学校を辞めたらどこにも連絡しなくて良くなって、「私もうこれから学校に休みますって言わなくていいんだ」「どうですかって連絡も受けなくていいんだ」って、自由を感じました。

それから、本当に学校に向かない子もいるんだってことに気付きましたね。

いつか勉強したいと思ったら高卒認定を受けると本人が言っていたので、それが30歳でも40歳でもいいかなと思っています。

娘は「学ぶことが嫌いなわけじゃない。学ぶことは好きだけど、自分の役に立つことを学びたい」と言っていました。
単なる暗記や、生活の役に立たないものを覚えることは嫌みたいです。
私もそれは分かるので、「無理に勉強しなくていいよ」「卒業資格の必要ないところで生きていけばいいじゃん」と伝えています。

——勉強は、本来自分のやりたいことをやるほうが吸収率もいいですもんね。

失敗しながらも努力し続けたら、「かわいい」と思えた。

——暴言も言い合うような中、徐々に関係性が変わったきっかけはなんだったのでしょうか。

過干渉に気付き、過干渉を辞めようと徹底したことです。

親からは話しかけないと決めたんですが、これが想像よりずっと難しかったんです。
いかにこれまで自分が余計なことを話していたか気付かされました。

せっかく気分良く話していたのに、そういう余計な一言を言って中断するんだ、という顔をされて、舌打ちされることもありましたし、時には怒鳴られましたし。

とにかく余計なことを言わないで、娘の言うことを肯定するように気を付けたんです。
「だってさ」「だけどそれ」といった感じで反論してしまうのが日常の会話の仕方だったんですが、それを「うん、そうだね」で終わらせるようにしています。
これは今でも継続していて、失敗もするけど、やり続けています。

——どのぐらいの時期から、安定するようになってきたのですか?

もう脳みそのクセになっていたので、それを修正するのがすごく大変でした。
約2か月ぐらいで、ほとんど娘の暴言暴力がなくなって穏やかになり、サポート体制に入れました。
過干渉に「あれしたら」「これしたら」と言うのではなく、娘のほうから「これがしたい」「あれがほしい」とヘルプを求めてきた時に応じることができるようになってきました。

——無意識でやってきたことを意識的に堪えるのは、大変でしたよね。

はい。
それがすごく難しかったから、失敗した時に自分で戻れるように、サイトでも「受容までの道のり」としてまとめました。
自分のために書いたようなものです。

——良かれと思ってやってることだったんですもんね。

お母さんはみんなそうです。
良かれと思って、子どものためになると思って、「あなたのために」ってやるんです。
でもそれ実は私のためにやってるよね、ってことに気付くかどうかではないでしょか。

言われている子ども自身は「あなたのためだから」って言葉だけで分かってしまうんだと思います。
「それ、本当は私のためじゃないよね。お母さんのためでしょ」って。
子どもは本当に敏感ですから。

——意識し続けたら穏やかになっていった、ということでしょうか。

信頼関係も回復して、すごく甘えてくるようになりました。
1日に何度もハグをしに来ますよ。

今は、「あーよしよしよし」って、全然嫌じゃないんです。
何をしてても、来たら振り返ってハグできる。

でも、小さい時はいつも泣いていて、いつも嫌がってて、大変だったんですよね。
抱っこしないと泣き止まないから抱っこするけど、抱っこしながらも「大変だ」「はやく泣き止め」「私の時間はどこに」と思っていました。

今はもう100%受け入れる気持ちで、「それをずっと求めていたんだな」「小さい時から全然できていなかった、ごめんね」という気持ちです。

今、赤ちゃんを育てている時のような気持ちというのかな。

かわいいです。
すごく。

気付かないうちに成長していく娘の姿。

——最近で、印象的な出来事などはありましたか?

つい先日、私自身嬉しかったことがありました。

娘は感覚が過敏な子なので、野菜すら洗えず、自分で料理ができません。
電子レンジでチンだけするようなものをストックしておくと、私が外出していても自分でやってくれるんです、その日、私は家にいたのですが、そろそろお昼の用意をしなきゃと思っていたら、「(ママは)作業中だから自分でやる」と言って。

ちょっとチャレンジ精神で「私の分もやってくれる?」と訊いたら、「いいよ」って引き受けてくれたんです。

こんなことは初めてでしたが、子どもはこうしてちょっとずつ大人になっていくんだなと感じる出来事でした。

娘は、大人になる、できるようになる速度が普通の子と違うんだと思います。
ものすごくゆっくりだったり、急にできるようになったり。
「でこぼこっていいうのはそういうことなんだな~」と捉えて、人並みにとか思わないようにしたらこんなに楽しんだなって気付けました。

ずっと気づけなかった我が子の才能

——お子さんに関して、特に「これは才能だな」と思うようなことはありますか?

センスが独特で、特に絵はすごいものを描きますね。
絵のタッチも、同じ人とは思えないような感じでいろいろなものを描いていきます。

小学1,2年生の時の図工の先生がめちゃくちゃ褒めてくれて、小学校の賞を取れたんです。
「1年生の子が描く絵じゃない」「構図が素晴らしい」みたいに言われて、娘に伝えたら、絵本の中に出てくるシーンを思い浮かべて表現したと言っていました。
元になる構図はあったみたいですけど、それを表現できるって今思うとすごかったのかもしれないですよね。

手先は器用じゃなかったので、立体的な作品を作ると、ひらめきが独特なぶん、発想を表現するのが難しそうでした。
家に持って帰るまでにはぐじゅぐじゅになっているので、彼女の才能は分からなかったです。

正直、絵に関しても中学ぐらいまではまったく上手じゃなかったので、絵が好きなことも知りませんでした。

——その他、お子さんの独創性を感じる出来事はありましたか?

中学校の授業は、娘にとっては退屈だったようで、じっとしていられないから先生に分からないように落書きとか宿題とかしてたようなんです。
それで細かい絵を描くことを身につけたら、ビックリするぐらい細かい絵を描くようになりました。
この子は発想が普通じゃないんだな、と感じましたね。

中学に行かなくなって、それを受け入れてもらえたと感じられてから、急に才能が開花した感じです。
放課後登校をしている時に美術の先生からすごく大きなスケッチブックを渡されて「太陽をテーマに絵を描いて来て」なんて言われたりして。

字が出てきたり、太陽以外のものがいっぱいで。
本人の中で発想として出てくるようです。
白黒で描いていたけど、娘にはカラーに見えていたみたいで、共感覚もあるらしいですね。
白いものや文字に色がついて感じるようでした。

そういうことも、全然知らなかったんです。

——お子さんが自己開示できるようになるまで、時間が必要だったんでしょうか。

自分が自分のことを認めて、人が認めてくれると分かるまで、自分の特徴や感じてきたものはずっと言わないでいたようです。
相当苦しかったんじゃないかなと思います。

苦労していた学校生活

——お子さんは、何か苦手なことはありましたか?

私は全然分からなかったけど、印刷物を見るのが苦手みたいです。
紙とか教科書とか、眩しくて見えず、読むのが難しかったと。
iPadのような画面は、大きさも明るさも書体も変えられるので大丈夫そうでした。

自分なりに編み出して工夫していたけど、学校では目立ちたくなくて、「自分はこう」と言いたくなかったみたいです。
蛍光灯も眩しくて嫌そうだったので「サングラスかけたら」と提案したけど、普通じゃないから嫌だと言っていました。

——感覚が鋭かったんですね。

感覚的なことではすごく困っていたと思います。
掃除とかも、濡れた雑巾とか触りたくなかったんじゃないかな。

参観日で掃除しているところを見る機会があったんですけど、よく見たら何もしてないんですよ。
乾いた雑巾を持って、いろんなところにいる友達と喋っているだけなんです。
おかしく見えないように本人なりに工夫していたみたいで、当時はあれでいいんだろうかと思ったけど、後になって、感覚が敏感で困っていたんだろうなと気づきましたね。

理科の授業でも、音の伝わり方の実験をした時に気持ち悪くなってしまって、先生に言って隣の空き教室に移動したそうです。
偶然担任の先生が通りかかって泣いている娘を気にかけてくれて。
ちょうど発達障害が診断されるかされないかというところで学校にも話はしていたので、耳栓を使用してもいいなど、配慮してくれました。

何種類も耳栓を買ってみて、娘はそれでも全然聞こえて効果はなかったみたいだけど、音が出る場所にはお守りみたいにして持って行っていました。

——お友達との関係はどうでしたか?

友達は、比較的似たような気質の子が多かった気がします。
水泳をずっとやってるとか、秀でた趣味を持つ子もいましたね。

学校のことをうまく話せないようだったので、どんな子と仲が良いのか、うちに来てくれないと分からなかったんですけど、様子を見るかぎりコミュニケーションが取れないわけではなかったです。

楽しそうにしていて、こういうのをずっとできたらいいのにと思ったけど、本人としては努力して合わせてたんじゃないのかなと思います。
3人以上だとつらい、と後から教えてくれました。

楽しく生きられればいい。不登校の子を持つ保護者の方へのメッセージ

——では最後に、不登校のお子さんを育てる保護者の方へ、メッセージをお願いします。

いわゆる「普通のレール」に乗るのが向いていない子たちもいます。
その時、発達障害って言葉にしばられたり、学校に行けないことを否定的な目で見たりしていると、せっかくの豊かな才能を台無しにしてしまうかもしれません。

「普通」に拘らないで、肯定的に見ることができれば、子どもの人生も、親の人生も変わるんじゃないかなと思います。

不登校は、場合によっては子どもの命に関わります。
そこを、真剣に考えてもらいたいです。

普通じゃなくたって、家族で十分楽しく生きることもできます。
お母さんの心持ち次第じゃないのかな。
お母さんが「楽しく生きられればいい」って思えたら、子どももお父さんも変わってくるんじゃないでしょうか。

そういうふうに思ってくれるお母さんが増えてくれたら、と思います。

うちなんか未だに娘は引きこもりだけど、幸せです。
今までに味わったことのない幸せを味わえています。
そういう親もいるんですよってことを、知ってもらいたいです。

——あたたかいメッセージを有難うございます。改めて、本日は貴重なお話を聴かせていただいてありがとうございました。

[写真:吉中智哉]

◆海野しぶき
千葉県在住。
思春期ブルー相談室代表を務め、自身の経験を活かして不登校・引きこもりの子を持つ親御さんに対してのメール・対面カウンセリング活動を行う。
LINK:「思春期ブルー相談室」

編集後記

海野さんはきっとこれまで、たくさん自分の苦手なことと向き合ってきたと思います。
海野さんご自身も「泣いちゃう」と言葉をもらす場面があり、どれほど苦しかったか、どれほど真剣にやってきたかが伝わってきました。
たくさん失敗をしながらもお子さんのためを思って試行錯誤し続ける姿は、見ていて胸が熱くなりました。
きっと多くのお母さん・お父さんが、海野さんと同じように、学校に行けない我が子を受容できずに悩み、自分のできないことを見つめ、子どもとの付き合い方を模索していくのだと思います。
そんな方にとって、今の海野さんの「我が子がかわいい」「家族みんなで幸せ」という姿は、大きな勇気となるのではないでしょうか。
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