2018/05/21 2018/05/21

親も子を持ち初めて親となる。子供に傷を負わせないために…【元不登校生の体験談】

元不登校生たちから体験談やメッセージを寄稿していただく「元不登校生の体験談」。今回は中学・高校時代に不登校を経験した「ゆっきーな」さんから、主に保護者の方へ向けてのメッセージを寄稿いただきました。

はじめまして。ゆっきーなと申します。
私は中学3年生から高校3年生まで不登校を経験しました。当時の母親の対応はとてもキツいものでしたが、私に続いて弟も不登校になったときに母親の対応が変わりました。私のときの失敗もあって、弟の不登校に理解を示してくれるようになりました。

私のときは初めての子育てだったので、母親もきっと分からないことだらけだったのだと思います。だから、私と私の家族についての体験談を綴ることで、今まさに初めての子育てで悩んでいる保護者の方のお役に立てれば幸いです。

私が不登校になった経緯

不登校になった原因は「親との不仲」「いじめ」「勉強によるプレッシャー」「朝起きられない」でした。

小学6年生の時に私は一週間のうち5日は塾。その他1日はお習字と英語。親がこうあってほしいという子どもを目指すために、嫌々ながら通っていました。

私自身の「友達と遊びたい」「もっとテレビや漫画が見たい。」という欲望は全部捨てさせられ、したくもない中学受験をすることが勝手に決められました。

中学受験の結果は、学校自体には合格したものの親の希望のクラスには合格できませんでした。そのため、親の希望クラスに移動するために週3日で塾に通い、周りの人の成績と比べられながら過ごしていました。余談ですが、親の希望のクラスに別に移動したくもないし塾にも通いたくない私はそのことでよく母親ともめて、そして暴力を振るわれました。

中学2年生の時に母親から離れるために祖母の家にお邪魔することになりました。
しかし、祖母も母親と同じ価値観だったため、私が学校でいじめられて泣きながら「学校に行くのがきついです。学校を休ませてください。」と相談したときに返ってきた答えは、「学校を病気でもないのに休むのは絶対に許さない。今の子はすぐそうやって不登校になる。心が弱い証拠。勉強の成績も悪いのにこれ以上悪くなったら許さない。泣いたってムダ。」というものでした。

家にも学校にも逃げ場もなくした私は、体力的にも精神的にも余裕がなくなっていきました。そして中学3年生の2学期のある日の朝、布団からまったく出られなくなってしまいました。

案の定、祖母からはあきれられ、母親からもあきれられました。誰にも相談することもできず、私は居場所を失いました。

ここまでが私が不登校になった経緯です。

親や親族とのすれ違い。不登校になってから

不登校になってすぐに、私は家族に精神科へと連れていかれました。
そのとき母が医師へ訴えていた内容は「とにかくこの子を学校に復帰させてください。」でした。

母親と距離を置いたほうが良いということで私はそのまま入院となりました。

入院中は母親が足を運んでくれることもありましたが、話しかけてくる内容は「いつ学校へ行けるの?」というものだったり、ひどいときには私が不登校であることを「怠け者」と馬鹿にしてくるものでした。

退院後、私立の通信制高校に入学しました。
ずっと我慢していた「自分のやりたいことに挑戦してみたい」という気持ちを大切にするため、ミュージカル劇団やダンス、歌のレッスンに通うようになりました。

しかし、みんなと同じ学校に行けず好きなことをやろうとしている姿が良くは映らなかったようで、次第に「学校に行っていないのに趣味をするなんて言語道断だ!」と言われるようになりました。

私自身も学校にいけないことに負い目を感じていたので「学校にいけない自分はおかしいんだ。」「学校に行ってないのに習い事に行くのはいけないんだ。」「私はフツーができないから、私は生きていてはいけないんだ。」と思うようになり、自分が嫌になり、死にたくなり、自分の部屋の窓から飛び降りました。

脊椎、両踵骨を骨折し全治8か月でした。

だんだんと見つかってきた私の居場所

自殺未遂があってからは、家族に「学校に行け」と言われることはなくなりました。
私の抱えていた気持ちに理解を示してくれた部分もあるのか、言語道断と言われていた歌やダンスのレッスンに復帰することもできました。

また、自分の苦しんだ経験を活かしたいと思い、Rizの運営母体である「ココトモ」という相談サイトでボランティアをおこなうようにもなりました。さらに、ココトモで知り合ったスタッフと一緒に10代向けのコミュニティサイト「ティーンズプレイス」を立ち上げ、居場所をなくした10代のための居場所づくりをしました。


(ティーンズプレイスのサイト)

これらの活動をつうじてたくさんの方の悩みに触れるようになり、初めて「私は弱い人じゃなかったんだ。」「同じようにフツーになれず苦しんでいる人が他にもたくさんいたんだ。」と知ることができました。

この経験は私にとって大きな救いとなりました。また自信にも繋がりました。

不登校当時の私に足りなかったもの。それは、「①とにかく相談できる人」「②物理的な居場所」「③甘えてもいいし、頑張らなくてもいい環境」「④自分は自分だ!と思える心」「⑤同じように苦しむ人たちと話をする機会」の5つだったのかなと思います。

当時このような環境があれば・・・と思うと私自身の過去を悔やみたくもなりますが、せめて今不登校の人たちにはこういった環境を提供してあげてほしいと心から思います。

弟も不登校になり、母親の態度が変わる

現在、私につづいて弟も不登校気味で学校に行けない日が続いています。

私が不登校のときの母親の態度はこれまでに書いたとおりですが、今、弟が不登校のときの母親の態度はこれまでとまったく異なるものです。

私の時は「学校に行きなさい」の一点張りだった母が「今日は何がしたい?」と弟のやりたいことに耳を傾け、一緒に料理をしたり、一緒に動画を観たり、一緒に買い物に行ったりしています。

また、病院に行って適切な指示を医師に求めたり、弟に無理のないペースでスクールカウンセラーと会わせてみたりと、弟の相談窓口を増やそうとしています。

きっと、私のことがあってから母親の中でもなにかが変わったのだと思います。

親も子を持ち初めて親となる。

母親が私につらく当たってきたのは「これからこの子どうなるのだろう。」と言う不安もあったからこそだと思います。また「将来のことを考えるとこのままじゃ後で苦しんでしまう。」という心配もあったのだと思います。

私は姉という立場で一番目の子。
初めての子育てはきっと分からないことだらけで、どう扱っていいのか誰にも分らなかったのでしょう。

親も子を持ち初めて親となります。
分からないことだらけの子育てだと思いますが、子どもに消えない傷を負わせないために私の経験が少しでも役に立てばと思います。

また、もし中高生で過去の私と同じような状況の方がいたら、一人ぼっちで悩みを抱えずRizをはじめ相談できる場所を探してください。

学校にいけないことへの悩みや、勉強ができないことへの悩みなどさまざまあると思いますが、とにかく今はゆっくり休んで心と体の休養をしてみてください。それを優先させるのが一番大事だと私は思います。

私の生い立ちから、気づきまでと長い文章でしたが最後までお読みいただきありがとうございました。

著者:ゆっきーな
平成9年3月28日生まれ、福岡県在住。
親との不仲、学校でのいじめ、により中3で不登校になる。その後「うつ病」「解離性障害」と診断され、精神科への入退院を繰り返す。高校二年生の時、自宅窓から自殺を試み、全治8か月の入院。そこで出会った看護師という職業に惹かれ、現在は看護学生として昼間定時制の看護学校に在学中。
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